誰かを好きになるとき、機能で好きになってはいないものだ

人を好きになるとき「かわいいから」「頭がいいから」「経済力があるから」といった要素から入ったとしても、最終的には "あなたが" 好きという状態になっている。

つまり何らかの要素を指しているわけではなく、目の前の存在すべてを受け入れ、好きになっているということ。

もしもそうでなければ、相手を機能として見なしているということになる。相手の外見がいいから好き、という理由であれば、その人よりももっと見てくれが良い人物が現れれば取っ手代わるようになってしまう。

こういう場合は、所有欲を大差はなく手に入れてしまえば数ヶ月も経たずに飽きてしまうものだろう。

存在すべてが好き――これはいわゆる「尊い」という感情に近似する。相手が息をしているだけで、生きているだけで、それで完了する。それで幸せ。

もちろん……やっぱりその隣には自分がいないとイヤかなとは思っちゃうものの、基本線としてはこの気持ちだと思う。

つまり、機能ではなく、存在で誰かを愛せる人はそれだけで人として成熟しているだろうか。